本当のヤマトを守る鬼族の頭領「役小角」
『聖徳太子コード〔上巻〕』にも書いたが、一般的に聖徳太子は、622年に亡くなったことになっている。しかし、私が臨死体験で見たところによると、死んだことにして表舞台から消えて御隠れになり、蜂子皇子に成りすましながら、10歳位だった金杵麿(役小角)に秘策を伝えていた。
役小角が成長し、蜂子皇子が日本に持ち込んだ山岳信仰をベースに、修験道を開いた真の意味は、「ヤマトの真髄を、時が来るまで山に隠す」ことにあり、山伏たちは、その山に伏したヤマトの真髄を守ってきたのだ。
役小角は鬼族の頭領として日本中の山を開き、そこにヤマトの真髄を込めた。のちに空海が密教として、人の道の奥にその真髄を繋げている。
それはもはや、個人の行という世界を超えた壮大な神(宇宙)の経綸であり、ある一定数の人が目覚めないことには、決して開かないパンドラの箱なのである。
陰陽師が東北に伝えた「鬼の舞」
当シリーズの冒頭(1)でも触れたが、東北地方には、鬼にまつわる伝統芸能が色濃く残っており、その中に念仏踊りとして伝わる「鬼の舞」がある。
この鬼の舞には、修験道の呪術のひとつである反閇(へんばい)が用いられている。反閇とは大地を踏みしめ鬼を称え、悪を鎮める修法であるが、これは陰陽師によって鬼門の東北へと伝えられていったものだ。
なかでも岩手県北上市や担江地方に伝わる「鬼剣舞」は、役小角が踊った念仏踊りが起源といわれている。このように、東北は“聖徳太子コード”がそこらかしこに隠されている地なのだ。
岩手県北上市周辺に伝わる「鬼剣舞」。「仏の化身」として、鬼の仮面を付けて舞う。
(画像は、北上観光コンベンション協会様HP https://kitakami-kanko.jp/folkart/about-onikenbai/ からお借りしました)
鬼を追い払うとどうなる?
立春の前日2月3日に日本の伝統行事「節分」が行われるが、現代ではその掛け声は、一部を除いて「鬼は外、福は内」である。
春の種まきに向かっていく節目のこの日、大地(山)のことを知り尽くした鬼を追い払うとどうなるのか。
大地から芽吹いた種は守り手を失い、実りに向かう過程で農薬まみれとなり、真の豊穣と切り離されてしまうのだ。
鬼門という門があるのなら、そこには道があるはずだ。
それはまさに「鬼道」であり、邪馬台国の女王卑弥呼が国の統治に用いたものだ。
「鬼道」が閉ざされていたら、当然の如く「氣道」はふさがってしまい、「軌道」から外れ、「起動」しないことを意味する。
鬼の本質を知ることの大切さ
『聖徳太子コード〔下巻〕』では、鬼子母神のルーツや、世界中の角(つの)を持つ存在にもスポットを当てている。
日本の仏閣の屋根の隅木などに「隅鬼(すみおに)」と称される屋根や建物を支えている鬼がいるが、この隅鬼のルーツは、ギリシャ神話に登場するアトラスだ。
ギリシャ神話に登場する、巨人族・タイタン族の神。アトラースとも表記される。
両腕と頭で天球を支えている姿で表されるアトラスは、西洋建築にも造形されるようになり、それが中国を経由して、日本で「隅鬼」になったのだ。
法隆寺五重塔の隅鬼。(画像は、大和の国から…様HP https://gan3.exblog.jp/7827503/ からお借りしました)
つまり、鬼は大地を守り、天空を支えている存在であり、その本質を忘れてはならない。
熊野の修験の先輩から教えられたことが心に響いてくる。
「苦しい時は心に観音様を、楽しい時ほど心に鬼を宿せ」
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